FC2ブログ

03

05

コメント

“元気になるメモ帳”と『あおのじかん』

(2022/3/5)

「二月は逃げる」と言われるけれど、本当にあっという間に終わってしまいました。月の終わりには、ロシアによるウクライナ侵攻なんてことが起きてしまうし……。2020年のちょうどいまごろ、コロナの国内感染が拡大しはじめていて、不安ななかブログ記事を書きました。あれからほんの2年、コロナもまだ収束しないなか、今度は世界に大きな衝撃が走る侵略戦争が起きるなんて。
 2年前は「ネットでニュースをチェックする時間を制限する」「ふだんどおりに仕事や勉強を進めるのは無理とある程度割り切る」という方針を決めたけれど、現在は時間的な余裕があまりなく、仕事はふだんどおりに——というか、ふだん以上に集中して進めなければなりません。いまこの瞬間もウクライナでつらい思いをしている人がいると考えると、いろんな思いがこみあげてきますが(そして世界の目がウクライナに向いているいま、ミャンマーなどのことも心配)、まず自分が元気でいなければ、平和を願って何かすることも無理。
 少し前に「自分が元気になるメモ帳」を作っておくといいということを知りました。時間がないときにもできること、手軽なことも含めて、自分はこれをすると元気になれるということを30個ぐらい用意しておくといいのだそう。最初は「30個も?」と驚きましたが、たとえば「お酒を飲む」などだけだと、ひとつのものに過度に依存してしまう心配があるからだとか。納得。時と場合によって、効果があること・ものも違うかもしれない。わたしはまだ20個弱しか考えられていないんですが、そのなかから「写真集や好きな本の挿絵をながめる」「〈テッド・ラッソ〉の好きなエピソードを再視聴」「〈世界ネコ歩き〉を観る」「かわいい動物の写真・画像を眺める」「花や緑を飾る(小さくてOK)」などを実践しようと思っています。これなら、いま時間のないわたしにもできるから。
 ウクライナに一日も早く平和が訪れますように。

IMG_1661.jpeg
IMG_1663.jpeg
IMG_1664.jpeg
『あおのじかん』(イザベル・シムレール文・絵/石津ちひろ訳) 先日リニューアルオープンした教文館ナルニア国で購入。もうほんと色がすばらしくて! 鳥の胸のふくふくした感じもなんとも言えません。ぜひリアル書店で手に取ってみてほしい一冊。こちらもながめていると元気になる本に仲間入りです。


↑「自分が元気になるメモ帳」についてはこちらの本に載っていました。

01

29

コメント

タイガー立石展と絵本『とらのゆめ』

(2022/1/29)

IMG_1614.jpeg

 シュールな作品、どこか不思議なところがある絵が漠然と好きです。マグリット(なぜかいつも名前が思いだせなくなる……)とかダリとかルソーとか。
 タイガー立石は昨年、NHKの〈日曜美術館〉で特集され、それまで名前も知らなかったのに俄然、展覧会に行ってみたくなりました。番組放送時に展覧会が開催されていた千葉市美術館は会期が緊急事態宣言中だったこともあり、あきらめたのですが、ほかの会場を巡回後、最後の会場になる埼玉県立近代美術館で作品を鑑賞してくることができました。

 埼玉県立近代美術館とうらわ美術館の2館同時開催だったのに、わたしは当初そこに気づいておらず、 うっかりうらわ美術館の閉館日を選んでしまい、うらわ美術館のほうで展示されていた絵本と漫画作品は見られずじまい……。残念ではありましたが、近代美術館の展示だけでも見てまわるのに2時間くらいかかったし、休憩したあと常設展示も楽しんでこられたのでよしとします。

 タイガー立石にわたしが特に興味を惹かれたのは、「売れっ子になりそうな危機」を感じると活動する場所・ジャンルを変えてしまうというところ。作風だけでなく、生き方もかなりユニークだったようです。そんな立石が一時期、力を入れていたのが絵本制作ということで、ミュージアムショップではタイガー立石さく・え『とらのゆめ』(「こどものとも年中向き」429号/福音館書店)と谷川俊太郎ぶん・タイガー立石え『ままです すきです すてきです』(福音館書店)を買ってきました。『とらのゆめ』に入っていたパンフレットから、タイガー立石の文章を一部、引用します。1984年に書かれたものだそうです。

 ≪とらのゆめ≫にでてくる虎は、なぜかすべて緑色である。夢の中の虎だからと言ってしまえばそれまでだが、これにはある深いこだわりと、それに何となく時代の気分のようなものがある。(中略)私の虎は、動物と植物をかねあわせたイメージである。人間の生活や歴史が、人間同士の競い合いであった時代は、このところで急に変わろうとしている。そこにはやはり、水や空気や太陽や樹や草や動物たちとの調和のなかでしか、人類の平和が保てないと悟りはじめたわれわれの時代の気分がある。
 10年前、イタリアはミラノに住み、タカタカという名の犬(バセットハウンド種のオス)を持っていた私は、ある日彼をつれて散歩の途中、4歳くらいの、可愛い男の子と母親の二人づれに出会った。子どもは犬をみるなり母親に質問した。「ママ! 動物も感じるの?」母は答えた。「そうよ、お宝さん、動物も感じるのよ」……。
 母と子が、動物と人間の感覚の同一を語ることからすべてがはじまる。そこから出発して、植物について、水について、空気や土やエネルギーについて、そしてもう一歩すすんで、それらの循環や互恵の関係についてなど、大いに語り合うべきだと思う。私が虎の緑色にこだわったのも、そのへんに事情がある。


IMG_1623.jpeg
(↑左がパンフレット)

 とらのモチーフは立石のほかの作品にもたびたび登場していて、絵にはかなりの風刺が込められていたりしても、虎が目に入った瞬間、顔が緩んでしまうというか、そんな描き方がされています。1984年に↑のようなことをすでに書いていた彼は、2022年の世界を見たら「え、まだこんなことしてるの?」と驚くのではと思ったり。

IMG_1626.jpeg
IMG_1627.jpeg
(↑とらが丸まっているところは、ちょっと草間彌生作品を思いだします)

 さて、昨年、雪組トップだった望海さんが卒業したのを機に、宝塚はいったんひと区切りにすることにしました。もちろんまったく観ないというわけではなく、前よりも利用しやすくなった配信やライビュはときどき利用するつもり、というかしていますが。ことしは展覧会やコンサートなどをメインに楽しめたらなと考えています。主催者側も行く側も安心できるように、コロナ関連の状況が早く落ち着いてくれるよう祈るばかりです。

09

13

コメント

『私はカレン、日本に恋したフランス人』と『ゆでたまごを作れなくても幸せなフランス人』

(2021/9/13)



 少し前に同業者のTさんから『私はカレン、日本に恋したフランス人』を薦めていただいていたので読んでみました。

 欧米人のなかには、たとえ日本(もしくはアジア)の文化に関心を持ったり、敬意を抱いていたりしても、「期せずして上から目線」なところがチラ見えしてしまう人っていると思うんです。この夏、強引に開催された東京オリンピックとパラリンピックをめぐっては、「期せずして」どころかきわめて「あからさまに」日本を見くだしている一部の欧米人の言動を見せつけられ、なんとも言えない気持ちに……。そんなことがあって間もないころに本書を読んだせいか、日本という国に純粋に興味を持ち、おもしろがってくれているカレン(本名はカリン)さんの様子に、なんだかなぐさめられました。数年前(?)から巷に増えてきた「日本スゴい」的な論調は好きじゃないけれど、自分が生まれ育った国を好きになったり、いいところを見つけてもらえたりするのはやっぱり嬉しい。

 本書については著者でカリンさんの夫、じゃんぽ〜る西さんのインタビュー記事〈日本人漫画家がフランス人妻の視点で描く日本〉〈フランス人ママ記者も感動 日本は育児しやすかった!?〉を読んでいただくと、おもしろさがよくわかるかと思います。

 〈フランス人ママ記者も感動 日本は育児しやすかった!?〉(2016年)の最後でカリンさんは東京オリンピックについて「母親としてもジャーナリストとしても、楽しみですね」と語っていますが、東京オリンピックが当初期待されていたものとは大きく違う形になってしまったのは、すでにみなさんご存じのとおり。カリンさんは大会中から五輪会場やプレスセンターの様子、問題点などをTweetしていらっしゃったけれど、先週公開されたカリンさんの記事〈「ヒュブリス」だった東京五輪が日本に残す教訓〉(Newsweek日本版)を読むと、あらためてうなずいたり、考えさせられたりしました。



 カリンさんとは反対にパートナーがフランス人でフランスへ移住し、小さなホテル(シャンブルドット)を営んでいる日本人、町田陽子さんがフランス人について語った本が『ゆでたまごを作れなくても幸せなフランス人』です。こちらは4年ほど前に読んだんですけど、フランス——特にプロヴァンス地方の土地柄に気楽に触れられる本でした。フランス人は「できないこと」に寛容と書いてあった部分が印象に残ってます。日本人、きっちりしているのはいいけど、それが苦しく感じられるほどになってしまうときもありますもんね。

 ともあれ、よその国のライフスタイルを扱ったエッセイや「〜人論」的なものを読むとき、個人的に気をつけていることがあります——そうした本は書いた人の限られた経験に基づいている場合もあるので、「あくまでも“著者の経験上は”という但し書きがつくことを忘れないようにする」ことです。それを忘れると、決めつけが強くなりすぎそうな気がして。これは本に限らず、SNSで海外在住の日本人の方、日本在住の外国人の方が発信する情報についても、このごろ気をつけなければと思うようになりました。

 あ、最後にもうひとつ。『私はカレン、日本に恋したフランス人』でフランスに一時帰国したとき、なじみのタクシードライバーさんができたというエピソードを読んで、数十年前ですが学生時代に友人と3人でパリへ行ったときのことを思いだしました。学生の貧乏旅行だったんですけど、3人いたので空港からホテルまでタクシーに乗りました。そのときの運転手さんがとてもいい方で。実はわたしがパリに着くなり大失敗をしたんですけど、その方のおかげで無事旅行が続けられたのです……(と書くと、だいたいどんな失敗か想像がつく?)。で、パリ観光が終わって空港へ行くときもその運転手さんに送っていただいたのでした。パリのタクシー運転手さんはよく助手席に犬を乗せていると何か読んでいて、その運転手さんもダックスフントを乗せていたので「わ、本当だ!」と思った記憶もよみがえってきました。

08

21

コメント

8月の読書 越智典子『完司さんの戦争』(偕成社)

(2021/8/21)

IMG_1395.jpeg

 8月なので、太平洋戦争に関する本を読みました。越智典子『完司さんの戦争』(偕成社)です。

 著者の越智さんは戦争の話は苦手という人。第1章に「正直いって、戦争の話は、読むのも聞くのも、あまり好きではなくて、できればさけたいものだったのです」とあります。もう少し越智さんの文章を引用します。

 戦争の話を聞きたかったわけではありません。それでもわたしが、なんども完司さんのお宅に足をはこび、お話を聞きつづけたのは、完司さんのお話が、未知の世界にとびこんだ少年の冒険物語のようにおもしろかったからです。それと、もうひとつ、完司さんが徹底的に戦争ぎらいな人だったからかもしれません。完司さんは、わたしと同じように、戦争のことなど、読むのも、聞くのも、見るのも、きらいな人だったのです。けれども戦争はそんな完司さんをほうっておいてはくれませんでした。それは、他人ごとではなく思えました。

 誤解のないように書き添えると、「冒険物語のよう」というのは出征前、完司さんが満州で働いていたときのことと、終戦後、治療のために送られたアメリカでの体験を主に指しているのではと思います。
 児童書なのでやさしい言葉で書かれていますが、大人が読んでもものたりないということはありません。凄惨な描写は苦手だけれど、戦地で戦った人の回想を読んでおきたいという方には特によい本だと思います。やさしい言葉でも、グアムのジャングルで生き残った完司さん(左脚を失っていたので、這うことしかできませんでした)が、ほかの日本兵に人肉として食べられてしまう危険を感じたことなど書かれています。

 国と国の戦争ではないけれど、コロナ下で為政者によって国民の命が軽く扱われる現実を目の当たりにしているいま、この本を読んでいると、整理できない感情が湧いてきました。
 いまの政治家について考えていて思いだしたのが、石井桃子さんが1950年代に語ったという言葉です。少し前に読んだ梨木香歩さんの『ほんとうのリーダーのみつけかた』(岩波書店)に出てきたのですが、石井さんは次のように語ったそうです。「ゆたかに物をかんじ、のび、力を貯えなくてはならない時代に、今度の戦争を経験した人たちの不幸を、私は何にもたとえることができない。失われた成長期は、もうとりもどすことができない」「このごろ、若い人を見たり親類の子どもをあずかったりしてみると、『むかし』の人間なら、常識で考えられないようなことをしたり、言ったりする」
 その若い人たちのことを石井さんは「からだは一人前でも、精神的には、栄養失調」だと評しています。「それはその人たちのせいではないことは、なんともむざんなことである」と。
 現首相も都知事も戦後の生まれではあるけれど、戦後あまり時間がたっていなかったがために、豊かに物を感じる成長期を過ごせず、精神的には栄養失調のまま大人になった人たちなのかもしれません。



 わたしはもともと政治にはあまり興味がなかったし、20代のころは投票に行かないこともありました。周囲の影響もあり、30代からはほぼ欠かさず行っていますが。いまコロナ禍のさなかにあって、自分たちの生活を守るというより「生命」を守るために、投票には絶対に行かなければと感じています。戦中・戦後に子ども時代を過ごした人に限らず、いまの世の中には精神的に栄養失調の大人がいっぱいいるのかもしれない。それでも近い将来、いまより少しでもましな社会がどうか実現しますように。

06

06

コメント

『イシ—二つの世界に生きたインディアンの物語ー』

(2021/6/6)

 シオドーラ・クローバー『イシ—二つの世界に生きたインディアンの物語ー』(中野好夫・中村妙子訳・岩波書店刊)を読みました。



 学生時代、授業の関係でアメリカ先住民をめぐる問題について、確か猿谷要さんが書かれた新書などを2、3冊読んでみたことがあったのですが、特に入植初期、白人が先住民にしたあまりにむごい仕打ちの数々が載っていて、決してセンセーショナルな筆致ではないのに文字どおり吐き気を覚え、読み進められなくなったことがありました。
 本書は著者がアーシュラ・K. ル=グインのお母さん、シオドーラ・クローバーであること、また訳者が中村妙子先生(中野好夫さんとの共訳ということになっていますが、実際はほぼ中村先生単独の訳であると、中野さんが訳者あとがきで説明されています)ということで、ぜひ読みたいと思い、買いました。でも、上記のような大学時代の読書体験があったため、読みはじめるには勇気が要り、時間がかかってしまいました。

 本書に登場するイシは実在の人物で、生まれたのは1861年か62年——ゴールドラッシュにより、白人がカリフォルニアへ押し寄せるようになってから12年ほどたったころでした。彼が10歳になったときには、彼らヤヒ族はほとんどが殺されるか、生活していた土地を追われるかしていたそうです。それから数十年が過ぎ、身内も死に絶え、ヤヒ族最後のひとりとなったイシが友好的な白人に発見にされたのが1911年。そのあとイシの親しい友人となったのが、カリフォルニア大学文化人類学科のアルフレッド・クローバー教授——ル=グインの父親となる人物だったのです。教授はイシの一生を本にする計画を持ちながら他界してしまいましたが、妻のシオドーラ・クローバーが夫の遺志を継いで、1961年に Ishi を刊行しました。さらにその3年後、少年少女向きに編集しなおしたものが刊行され、この1964年刊行版が、本書の原著になります。

 ル=グインのゲド戦記についてはこのブログでも何度か取りあげていますが、本書を読むと彼女があのシリーズのなかで描きだした世界の雰囲気、価値観は、こういう本を著す母、そしてそのもととなった研究を行った父という存在が背景にあったからなのだろうなと感じました。

 いつものように印象に残った箇所を抜き書きします。

夜のあいだに〈三つ塚〉の蔭に集まった二十人以上の白人が、村人がまだ寝静まっている夜明け前に村を襲ったんだ。とうさんがかあさんとおれを裏の木立のなかに隠したのを、おれはよく覚えている。あちこちで悲鳴があがり、鉄砲の音が雷鳴のように空気をつんざいた。何かの燃えるにおいがしていた。家の壁の蔭に隠れて、とうさんは敵を迎え撃った。二十丁の鉄砲に、弓矢だけで立ち向かったんだ。それでもとうさんの矢に当たって村の小道に倒れて死んだ敵は、一人や二人ではなかった。
(p.99 若者になったイシが、彼が幼いころに殺された父について回想する場面)

弓も、矢も、かわうその皮で作った矢筒も、銛も、いや、火起こし棒、ナイフ、削り器、のみ、台所用品その他日用品の大部分、食料品のことごとくが持ち去られていた。イシはトゥシの洗い熊とアメリカ・ライオンの毛皮のケープ、熊の皮の毛布、母親の羽毛のケープ、古くなって、あちこち繕われている兎皮の毛布を探した。何一つなかった。
(p.180 祖父、母、従妹と4人で隠れ住んでいた場所を白人に見つけられ、イシは祖父と従妹を先に逃がしますが、ふたりはおそらく逃走中に死亡。白人たちが去ったあと、母とふたりで生活するためにわずかでも取り返せるものがあればと、イシが家に戻った場面)

白人の神々、白人の英雄たちは、ヤヒ族にはよくわからない。白人の神々や英雄は、ジュプカ神や、カルツナ神や、ヤヒ族の英雄より利巧だ、ずっと利巧だ。白人の神々は白人に、車を、火を出す仕掛けを、道具を作る丈夫な鉄や鋼鉄を与えた。たくさんのいいものを与えた。……だが白人の神々は、白人が賢く生きるようにとは、願っていなかったようだ。〈生きかた〉を——白人のしたがうべきはっきりした〈生きかた〉を、示さなかったように、おれには思えるんだ。
(p.274 母も亡くなり、ヤヒ族最後の生き残りとなったあと、友好的な白人と暮らすようになったイシが語った言葉)

 コロナ禍であるのに、「???」となることがつぎつぎ強引に実行されてしまいそうないま読むと特に、わたしたち現代人が追い求めてきた/追い求めている生活ってなんなんだろうと考えさせられ、虚しさに襲われました。

 本書は児童書に分類され、対象が小学校6年生、中学生以上となっていますが、上の抜き書きを読んでいただけばわかるとおり、大人が読んでも読みごたえのある内容・文章です。中野さんは成人向けの『イシ』(行方昭夫訳)——1961年刊行版を原著とする邦訳——も薦めていらっしゃいますが、こちらは現在版元在庫なしのようです。「亡(ほろ)びゆくインディアンの運命など、はるかに痛烈な資料を使って書かれています」ということなので、機会があれば(そして勇気が出れば)、そちらも読んでみたいのですが。実はこの児童書版について知ったとき、日本では絶版だろうなと思っていたので、1977年の刊行以後、2012年に七刷となっていまもちゃんと流通していることに感動しました。

 アメリカ先住民の問題は黒人問題よりも取りあげられる機会が少ないようにも感じます。本書は彼らについて、さらにはほかの土地の先住民について(たとえば日本なら北海道のアイヌ民族について)思いを馳せるきっかけになると思います。

 ちょうど本書を読了したタイミングで『「犠牲区域」のアメリカ 核開発と先住民族』について知ることができたので、こちらも読みたいと思っています。


プロフィール

島村浩子

Author:島村浩子
東京下町在住の翻訳者。ミステリ・ロマンス・ノンフィクション・児童書など訳してます。本のほかに映画・洋楽・ミュージカルが好き。
Twitter: @rhiroko
Instagram:@reepicheeph
Fedibird(マストドン):@rhiroko
Bluesky:@rhiroko
タイッツー:@rhiroko
訳書一覧はWorks 仕事をご覧ください。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード

QR

*32*

Designed by

Ad