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いろんな楽しみを教えてくれた人

(2022年12月31日)

 先日ひさしぶりにミクシィをのぞいてみました。かれこれ10年以上利用してきたTwitterがここに来て、いろいろ「うーん」なのはみなさんもご存じのとおり(前から利用の仕方などで悩むことはあったけれど)。「そういえばミクシィって、いまどんな感じなんだっけ? Twitterが本当に使えなくなったり、使いたくなくなったりした場合に備えてのぞいておこうかな」と思いつつも、すぐにはアクセスせずにいました(アカウントが乗っ取られていないことの確認はたまにしていたんだけど、最後にログインしたのがいつかは覚えていません……)。

 10年以上前に書いた日記を読み返してみると、「わー、そういえばこんなこと書いてたっけ!」とこっぱずかしくも感じたり。と同時に、ミクシィを通じて交流が始まった/深まった同業者さんと、お相撲や寄席にみんなで一緒に行ったりしたなあと楽しい思い出があらためてよみがえってきました。

 わたしをミクシィに招待してくれたのは翻訳家の栗原百代さんです。同業者が集まる宴会で、確かわたしがPCを買いかえ、通信環境が前よりもよくなったとかそんな話をしたら、「おお、ではひろりん(と、ももさんには呼ばれていた)も出会い系をやろう!」と言われ、わたしは「は、はあ? 出会い系???」となったんですが、帰宅後ももさんから送られてきたのがミクシィへの招待状でした。

 ももさんは翻訳者としてとても精力的に仕事をするいっぽうで、好きなもの・人がいっぱいあって(いて)、わたしからすると「この人には1日28時間ぐらいあるのでは?」と思えるくらい、スポーツや観劇、そして飲み会も楽しんでいました。顔が広く、情報通でもあり、ももさんのおかげで交友関係が広がったとか、いろんなことを教えてもらったという人は、わたし以外にもきっと何人もいると思います。

 わたしは歌舞伎役者の尾上菊之助が好きなんですが、これもももさんに誘われて観にいった菊五郎一座の国立劇場公演がきっかけでした。ほかにも蜷川幸雄や野田秀樹の舞台、オペラなど、わたしの場合はももさんに声をかけてもらったから知ることができたという楽しみがいくつもあります。

 ももさんが特に好きだった有名人としてすぐに思いだされるのは松井秀喜に藤原竜也、そしてギャスパー・ウリエル。ギャスパー・ウリエル主演の〈ハンニバル・ライジング〉に関しては、仕事で忙しいなか、20回以上映画館で観ていたんじゃないかな。2007年にももさんとほかの同業者さんとわたしと三人で、ウィーン版〈エリザベート〉の初来日公演を観にいったことがあったんですが、あまりのすばらしさとパワフルさに圧倒され、終演後に3人でコーヒーを飲みながら興奮して感想などを語り合いました。それぞれ言いたいこと言って少し落ち着いたところで、ももさんは「じゃ、あたしこれからギャスパー観て帰るから」と、当時〈ハンニバル・ライジング〉を上映していた映画館へと消えていきました(このときすでにかなりの回数観てたはず)。ももさんというと思いだすエピソードのひとつです。

 ももさんは〈ほんわか会〉という読書会(参加者は翻訳者)を主宰してもいました。わたし自身、2012年から数年間、翻訳ミステリー読書会の世話人をしていた時期があったんですけど、その世話人を引き受けることにしたのも、〈ほんわか会〉で読書会に参加させてもらった経験があったからでした。ほんわか会で読んだ作品として特に心に残っているのは『冷血』『蠅の王』『アフリカの日々』。どれも読みたいと思いながら、長年手をつけられずにいた本でした。『蠅の王』は途中読みすすむのが苦しくなり、読書会の課題書じゃなかったら挫折していたかも(←もちろん作品批判ではありません)。『冷血』では一人称と二人称の訳し方について、「最初はへえ、これを使うんだと意外に思ったんだけど、読みすすむとやっぱりこれだなと納得した」というような感想を述べた方がいて(そしてみんなでうなずいて)、これは翻訳者が集まる読書会ならではのおもしろさだと感じました。『アフリカの日々』は確かももさんが香港に引っ越して最初の読書会の課題書で、Skypeを使って指しで語り合いました。ふたりだと、ももさんの教養の深さ、着眼点のユニークさをひしひしと感じさせられたのを覚えています。

 そんなももさんが亡くなったと聞き、呆然としています。いまだ信じられないし、いつまでも実感がないままになりそうな気がしますが、こうして振り返っていると湧いてくるのは感謝の気持ちです。ものすごく密度の濃い人生だったのではと思います。いくつもの沼にはまり、いっぱい楽しんで、その楽しみを人とも共有して、人と人がつながる機会を作り……。ももさんが香港に引っ越す前の壮行会には本当におおぜいの人が集まり、帰国したときの歓迎会もすぐに開かれて(そういう会をアレンジしてくださった方々にも本当に感謝です)、それはももさんを大切に思う人がどれだけいるかの証だったと思います。あれこれ思いだしながら、心からありがとうと思い、どうぞ安らかにと願う年の瀬です。

 みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。

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〈翻訳いろは〉「こりすぎると興ざめ」

(2021/12/29)

 もう35年近く前になりますが、母校の大学で中村妙子先生の翻訳演習の授業を履修しました。半期の講座で、定員は(確か)20名。受講資格は3年生から。いつも希望者が定員を超えるため、卒業を間近に控えた4年生が優先。3年生は前期から希望を出しても後期にならないと受けられませんでした。

 「こりすぎると興ざめ」というのは、その翻訳演習のクラスで中村先生が教えてくださった〈翻訳いろは〉のひとつ。〈翻訳いろは〉は先生がお仕事をされるなかで考えられた翻訳のコツを(おそらく学習者にわかりやすく伝えるために)調子のよい短い言葉にまとめられたものです。先生は授業中に学生の訳文を検討しながら、該当する〈いろは〉について説明されるときもあれば、いくつかまとめて教えてくださるときもありました。細かい部分はときどき変えたりしていらっしゃるというお話だったので、わたしと違う時期に先生の翻訳演習を受講された方は「あれ、自分のときと違うな」ということもあるかもしれません。

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↑授業中にとった〈翻訳いろは〉のメモ(右端欄外の赤字)。「語尾にも神経を」「文の構造を把握する」)

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↑まとめて教えてくださったときのノート。いま読み返すと「ああ、この時点でもうこれを教えていただいていたんだなあ」と、実践できるようになるまで時間のかかっている自分にため息が出ると同時に、あらためて感謝の気持ちがこみあげてきます。

 わたしはもともと意訳が得意ではなく、硬い訳文を書くタイプでした(と過去形にしていいものか……)。数年前からようやく「こういう訳し方もありかも」と思うことが増えてきて、以前よりも自分のなかで訳文の選択肢が増えたというか、自由度(?)が少しあがったように感じているのですが、そんな変化のなかで特に気をつけなければと思っているのが、この「こりすぎると興ざめ」なのです。わたしの場合、「凝る」というよりは「やりすぎ」に気をつけると言ったほうが適切かもしれませんが。インパクトが強い訳語、自分が使いたいと思っていた言葉、やってみたいと思っていた訳し方が頭に浮かんだとき、「それ、本当に必要? 原文に合ってる?」と自問することは、きっと多くの翻訳者がやっているのではないかと思います。わたしの場合、中村先生の「こりすぎると興ざめ」という〈翻訳いろは〉を思いだすことが、一度立ち止まるきっかけになっているのです。

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 さて、きょうは中村先生が訳された『おやすみなさい トムさん』(ミシェル・マゴリアン著・評論社)から特に印象に残っている場面を少し引用したいと思います。母に虐待されていた少年ウィリーが、疎開先で頑固でぶっきらぼうながらも実はやさしい老人、トムさんに出会い、ふたりの心に変化が生じていくという物語です。

「キャンデーを一つと漫画本を一つ、選んでいいよ」
ウィリーはたまげたように目をみはった。
「ゆっくり選んだらいいわ、坊や」とおばあさんがやさしくいって、キャンデーの容器を指さした。
「フルーツ・ドロップ、ファージング・キャンデー、ミント・キャンデー。棒つきキャンデーもあるわ。とてもよく出るのよ、これは。種類は苺、レモン、ライム、オレンジといったところかしらね」
 トムはウィリーがさっぱり反応を示さないので業を煮やし、つっけんどんに促しかけてウィリーの表情に気づいた。
 ウィリーは何度も生唾を呑みこんでいた。好みのものを選べと人にいわれたためしなど、生まれてから一度もなかった。
「棒つきキャンデー」と彼はようやくいった。
「味はどれ?」
 ウィリーは眉を寄せた。どうしよう? 「じゃあ——苺の」興奮のあまり、しゃがれ声でいうのがやっとだった。
(『おやすみなさい トムさん』66頁から)

 欲しいものを買ってもらったことなど一度もないウィリー。彼が色とりどりのキャンデーやあざやかな色の漫画本を前にしたときの喜びを想像すると、こちらの胸が苦しくなるほどです。わたしが翻訳を担当したアレックス・ジーノの『ジョージと秘密のメリッサ』には、体は男の子、心は女の子のジョージ(メリッサ)が親友ケリーの家で、クローゼットいっぱいの女の子の服、化粧品、香水などを前にして静かに喜びを爆発させる場面があります。その場面を訳すとき、「あんなふうに主人公の喜びが伝わるように訳せたら」と、わたしのなかでは『おやすみなさい トムさん』の上記の部分がずっと頭にありました。

 『おやすみなさい トムさん』は邦訳が1991年に刊行され、版を重ねて現在も入手可能です。とはいえ、いつ版元在庫なしとなるかわかりません。いままた少しずつ読み返しているところなのですが、大人にとっても読みごたえのあるすばらしい作品です。ここで訳者あとがきからも少し引用します。

 のどかな前半と、はらはら気を揉ませる後半。とくにトムによるウィリアムの思い切った奪回作戦とその成り行き、(中略)ドラマティックな展開は、読者をぐいぐい引っ張って一気に終わりまで読ませるでしょう。しかも、いたずらに感傷に流れるあぶなっかしさをまったく感じさせません。戦時下のイギリスの庶民の生活を、ロンドンと地方の小さな村との両方にわたって知ることができるという点でも興味ふかいと思います。

 年末年始に読むものをお探しの方はぜひ!

 2021年もきょうを含めてあと3日となりました。みなさま、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。来年もゆるゆるとおつき合いいただければ幸いです。

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ソール・ライター展に行ってきました

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 行ってきましたと言っても、もう3カ月以上も前ですが。会期は1月9日〜3月8日の予定でしたが、新型コロナウィルス感染拡大防止のために2月28日から中止になりました。

 ソール・ライター展は2017年にも開催され、そのときは行きそびれてしまったんです。映画を観ていたこともあって、会期が終了したあとにこちらの記事を読み、行きそこねたことを激しく後悔しました。
 わずか3年足らずで彼の作品をじかに見られるチャンスが訪れようとは。当日会場をめぐりながら思ったことのひとつが、ライターの写真そのものとは関係ないんですけど、「一度機会を逃したことでも、縁があればまたチャンスはめぐってくるんじゃないか」ということ。「チャンスの神さまには前髪しかない」とか「一期一会」という言葉もありますけどね。縁さえあれば!
 
 ライター展はNHKの日曜美術館でも取りあげられて、柴田元幸さんが(映画の字幕翻訳を担当されたりという関係から)コメントを寄せていらっしゃいました。そのときのコメントがどこかにアップされていないかと調べていたら——日美のコメントは見つからなかったんですが——2015年の映画公開時のこちらのインタビュー記事を見つけました。翻訳について、アメリカ文化、社会背景なども交えたお話が、さすが〜!という感じで非常におもしろいです。二箇所、引用させていただきます(文中の「彼」はライターのことです)。

柴田:普通でいうニューヨークのすごさって、人種的にも文化的にも多様なところですよね。彼はその多様性に敏感に反応したわけではない。でも、あの年齢で白人でマルチカルチャーに興味がないとすると、もっと自己完結してしまうというか、自分の文化を善しとするところに落ち着きを見出してしまいがちですけれど、彼はそういうところも全然ない。ニューヨークという場所に根付いてはいたけど、アイデンティティーを主張するような感覚はあんまりなかったんじゃないかな。そこが彼の独特さであり、素敵なところですよね。

柴田:要するに、彼自身は「サクセス」に興味なんてないんだけど、彼だって世間的な常識を知らないわけではないので、人の成功を測るのは金銭的なものだというアメリカ的な考えは根深くあるんだと思う。「サクセス」という言葉は日本語で訳しにくくて、「成功」というよりは「出世」のほうが狭い文脈では近いのですが、要するに「有名になって、お金がたくさんあって、大きい家に住む」ということですよね。その「サクセス」の呪縛というのは、アメリカ人にとって本当に大きいんだなと思いました。だから、ソール・ライターみたいにマイペースで生きているような人でも、奥さんに対する申し訳なさに思いをめぐらすところでは、ああやってポロッと出てきたりするんでしょう。

 はじめのほうにリンクを貼ったポリーヌ・ヴェルマールさんのインタビュー記事(2017年ほぼ日)からも数カ所引用を。

アンリ・カルティエ=ブレッソンの初期作と、
ソール・ライターの作品には、
どこか、共通性があると感じています。 それは、ひとつには、
世の中の「美」に対する感受性の高さと、
そして、
見る者の感情に、知的に訴えかける部分。

ブレッソンとライターは、
「優しさの感覚」というようなものを、
共通して、
持ちあわせていたとも、感じます。 高い感受性や天賦の才によって、
誰もが「いいな」と思う「美の瞬間」を、
マティスやボナールのように、
とらえることのできた作家だと思います。

はい、そうです。英語でもフランス語でも、
「頭」と「感情」は
それぞれ、別の言葉で表現するんですけど、
日本語の「心」というのは、
頭でとらえたものと、
感情でとらえたものが混じり合っている、
そういうものだと、理解しています。 わたし自身、日本で育っているのですが、
ソール・ライターの写真には、
わたしは、日本の「心」を感じるのです。

そして、その「語らない」という姿勢を、
声高に主張しても、いなかったこと。


 こうしてライターに関する文章をいくつか読んでみると、彼について考えるときのキーワードのひとつに「主張しない」がありそうな気がします。
 一度読んで大きくうなずいたりした記事も、細かいところはすぐに忘れてしまう者としては、何年も前の記事がこうしていまも読めるのはありがたいです。

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ライターの本とブレッソンの展覧会(2007年)の図録。昔は、写真の場合、印刷でもそれなりに楽しめるのではなんて思っていましたが、星野道夫さんの展覧会に行ったときにそんなことはまったくないとわかり、大反省。いま休館になっているあらゆるジャンルの美術館・博物館・展覧会会場が一日も早く再開されるといいなと思います。

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末大末大

 2020年になって最初のブログ更新です。早くも一月が終わろうとしていますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。なんとなく月一回更新ペースになっている当ブログ。ことしもゆるゆるとおつき合いいただければ嬉しいです。

 今回タイトルにした「末大末大」というのは一昨年からのお正月に引いたおみくじの結果。ことしは恒例の富岡八幡宮のほかに神田明神でも引いてみたところ、みごとに(?)末吉(一昨年)→大吉(昨年)→末吉(ことし富岡)→大吉(ことし神田明神)とあいなりました。この順番でいくと、来年のお正月は末吉?(笑)

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(↑おみくじは持ち帰る派です)

「ことしやりたいことリスト」の達成度、昨年は15個中6個でした。ただし、リストに入れてなかったけれど前からやってみたかったことが2つできました。一年の後半になると自分を取り巻く状況も年初とはちょっと変わってきたりするので、ことしは少なめに9つ考えてみました。途中で思いたったことと合わせて、フレキシブルにいろいろやっていけるといいなと思います。

 年賀状にはことしも〈昨年おもしろかった/心に残った3作〉を書いてみました(一昨年の3作はこちら)。

映画
メリー・ポピンズ・リターンズ
ニューヨーク公共図書館
(↑この映画についてはこちらのブログ記事にも)
新聞記者

舞台
CASANOVA(宝塚花組)
(↑こちらのブログ記事に少し書きました)
CLUB SEVEN ZEROⅡ
虹のかけら〜もうひとりのジュディ
(↑これは三谷さんに「ヤラレタ〜!」(笑))

 昨年観たものとしては特に舞台/コンサートによいものが多くて、選ぶ際に悩みました。でも、ことしはすでにチケットを取ってある舞台と一部の宝塚公演以外は観劇をお休みするつもりです(宝塚はそもそもチケット争奪戦が激しすぎて取れるかどうかが不明ですが)。ことしはちょっとこれまでとは違う分野の勉強をしてみることにしたので、予定が立てこむと疲れてしまう人間としてはスケジュール管理のためにも決めました。もっといろんなことを並行してできるパワフルなタイプだったらなあとつくづく思います。

 そんな観劇お休み期間に入る前に、先週〈シャボン玉とんだ 宇宙(ソラ)までとんだ〉を観られたのは本当にラッキーでした。あれはすばらしい和製ミュージカルですね! 豪華すぎる出演者が集まるのも、大いに納得の感動作でした。井上芳雄くん/さんが意欲を見せていたけれど、海外でもぜひ上演してほしい!

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ちひろ美術館と静岡県のIさん

(2019/7/21)

先日、ちひろ美術館で開催されている〈ショーン・タンの世界〉展に行ってきました。ショーン・タンは気にはなっていたものの、作品を読んだことはなく、結局前知識ほとんどなしのままで。話題になっているし、混んでるだろうなあと思っていたら、平日の昼間はそれほどでもありませんでした。小さな美術館で、場所も繁華街の近くなどではないからかな。おかげで館内のカフェコーナーで休憩しながら、ショーン・タンといわさきちひろの作品の両方をゆっくりと鑑賞してくることができました。ショーン・タンの図録に載っている作品では「クマとその弁護士」が、見た瞬間に絵の世界——不穏で悲しい雰囲気——にぐっと引きこまれました。東京は7月28日まで。京都で9月21日から開催予定とのこと。

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ちひろ美術館を訪れたのは今回が初めて。実家にいわさきちひろの画集があったため、子どものころから絵はよく見ていたのですが、ちひろ個人についてはあまり知りませんでした。ちひろに関するコーナーで心に残る言葉が紹介されていました。

*大人になること*
 人はよく若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもましていい時であったように語ります。けれど私は自分をふりかえってみて、娘時代がよかったとはどうしても思えないのです。
(中略)
 けれど生活をささえている両親の苦労はさほどわからず、なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼をしても気付かず、なにごとにも付和雷同をしていました。思えばなさけなくもあさはかな若き日々でありました。
 ですからいくら私の好きなももいろの洋服が似合ったとしても、リボンのきれいなボンネットの帽子をかわいくかぶれたとしても、そんなころに私はもどりたくはないのです。
 ましてあのころの、あんな下手な絵しか描けない自分にもどってしまったとしたら、これはまさに自殺ものです。
 もちろんいまの私がもうりっぱになってしまっているといっているのではありません。だけどあのころよりはましになっていると思っています。そのまだましになったというようになるまで、私は二十年以上も地味な苦労をしたのです。失敗をかさね、冷や汗をかいて、少しずつ、少しずつものがわかりかけてきているのです。なんで昔にもどれましょう。


↑こちらを読んで、ちひろってどんな人だったんだろうと興味がわき、帰りにこの文章が収録されている『ラブレター』という本を買ってきました。

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情熱的な人だったんだな、と少し驚きを感じたり、彼女が生きた時代(この本に記されているのはおもに1950年ごろから。ちひろは1918年生まれ)に思いをめぐらしたりしながら読んでいます。

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編集部経由で読者のIさんからお葉書をいただきました。『ロイスと歌うパン種』がおもしろかったので、『ペナンブラ氏の24時間書店』も読んでくださったとのこと。嬉しいです。このブログをご本人がご覧になることがあるかどうかわかりませんが、読んでくださってありがとうございました。

プロフィール

島村浩子

Author:島村浩子
東京下町在住の翻訳者。ミステリ・ロマンス・ノンフィクション・児童書など訳してます。本のほかに映画・洋楽・ミュージカルが好き。
Twitter: @rhiroko
Instagram:@reepicheeph
Fedibird(マストドン):@rhiroko
Bluesky:@rhiroko
タイッツー:@rhiroko
訳書一覧はWorks 仕事をご覧ください。

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