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「編集部あとがき」はどうでしょう?

(2024/2/18)

 前回の記事には(著名ではない一翻訳者が書いたものとしては)たいへん大きな反響がありました。当ブログのユニークアクセスが記事公開初日に1500を超えたあと、2日目以降の1週間も1日平均約200のユニークアクセスが続きました。記事に関するTwitter(旧名で通します)への最初の投稿はインプレッションが13.2万、RT/RPが約300、いいねが約500となっています。わたしが翻訳を担当している作品の読者さんや同業者さん、出版・書籍販売関係の方々を中心に温かい応援の言葉やメッセージを驚くほどたくさんいただきました。記事を読んでくださったり、関心を持ってくださったりしたみなさまに、まとめてではございますが、お礼を申しあげます。本当にありがとうございました。
 2月3日に追記しましたとおり、版元とは話し合いが始まりました。こちらでもご報告できるようになるのは少し先になるかもしれませんが、引き続き見守っていただけると嬉しいです。見守ってくださる方々の存在は、訳者にとって本当に大きな力になり得ることをひしひしと感じています。

 前回の記事を公開するに当たっては——当然ながら——非常なストレスとプレッシャーを感じました。ただ、多くの方に今回の問題だけでなく、翻訳者が置かれている苦しい状況を知っていただけたことで、心強さを感じて、以前よりは気持ち的に楽になった部分もあります。もちろんわたし個人の今後についてはまだ——正直、一年、二年……といった単位で——安心はできないと思っていますし、強烈な精神的苦痛を覚えたりする瞬間はあるのですが。
 今回本当にすばらしいなと思ったのは、版元ファンの方も「○○社さん、それはおかしいんじゃないか」と声をあげてくださったこと、翻訳のジャンルを超えて同業者さんたちから応援の声をいただけたこと、そして声をあげてくださった方全員が冷静で理性的な反応をしてくださったことです。これはふだんから本に親しんでいる人、翻訳を通じて言葉と向き合っている人、言葉の影響力を(無意識のうちにでも)知っている人が多かったからではと感じています。

 きょうは前回の記事に書いた「訳者が無料で引き受けるのが慣例になっている作業」のひとつ、訳者あとがきについて提案をしてみたいと思います。
 SNSアカウント〈本のフェアトレード〉のアンケートを見ると、訳者あとがきが無料でも書くのが苦ではない人もいれば、負担に感じている人もいるようです。そこで、訳者あとがきを引き受けるかどうかは訳者に「選ぶ権利」があるといいなと思うのですが、いかがでしょうか? ふだんは「書きたい派」の翻訳者でも、時間的な問題などで「今回はちょっと……」という場合もあるかもしれません。そんなときは担当編集者が引き受けて「編集部/編集者あとがき」を載せれば、読者のみなさんからしても変化が感じられたりしておもしろいのではないかと思うのですが、どうでしょう? 編集者も自社のウェブサイトに担当書の紹介文を書いたりすることは多いですし、出版社側としても大きな負担にはならないはずです。
 ほかに「あとがきはなしにする」「書評家・専門家に依頼して解説を載せる」などの方法ももちろんあります。ただ、書評家や専門家に依頼する場合はそれなりのお金がかかるようなので、刊行費用をおさえたい場合はOKが出にくいでしょう。

 ここでわたしが提案しているのは、あくまでも「翻訳者が選べるようにしてほしい」ということです。訳者が「今回はむずかしいんですけど……」と出版社に相談できるようになれば、引き受けることにして書いたときには、出版社側に「書いてもらえてよかった/助かった/ありがたい」という意識が生まれるかもしれません。「訳者あとがきを書くこと」が「慣例」で「当たり前のこと」から「感謝の対象」へと変化すれば、翻訳者への敬意が急速に失われつつある現状も少しだけでも改善に向かって動きだすかもしれません。

 個々の仕事で、印税率や初版部数について交渉を試みている翻訳者は、少数かもしれないけれどいるようです。ただ、出版社側には「それならほかの人に依頼します」というカードがあるので、有名な訳者さんでもうまくいかなかったという話を読んだり聞いたりしたことがあります。
 刊行経費に直接響く部分を変えるのは困難。それならまず、ほかの部分で訳者の負担が軽減される工夫を始められないでしょうか。「編集部あとがき」はあくまでも具体的な案のひとつとして書いてみました。もっといいアイディアが浮かぶ人もきっといるはずです。

 ちなみに、わたしは訳者あとがきを書くのは得意ではないものの、特に新人のころは「プロになれた」証のようにも思えて、書くことに誇らしさ(?)を感じていた気がします。何カ月もほぼ毎日向き合ってきた、たいせつな本について書くわけですし。ただ、仕事を続けるうちに、訳者あとがきが無償であることに疑問を持つ先輩翻訳者さんたちがいることを知りました。また、自身の経験でも、「それは専門家に依頼して解説として書いてもらうべきでは?」と思う内容や水準のあとがきを求められたときには困惑しました。

 翻訳者はふつう印税契約です。本が出れば訳者にまともな印税が入ったころは、あとがきやそのほかの作業を無償で提供することも「あり」だったかもしれません。ですが、印税率や初版刊行部数がどんどんさげられているのに「慣例の無償作業はそのまま」の状態が続けば、しわ寄せが大きすぎて翻訳者が疲弊するだけです。

 変化が簡単には起きないのはわかっています。でも、ひとりでも多くの方にいまの出版翻訳業界が持つ問題について理解を深めていただき、「よい翻訳書を読むことができる環境」を守るには?と考えていただけたらと思って、この記事を書いてみました。本が好き、翻訳書が好きという方が翻訳者が抱える問題に関心を持ちつづけてくだされば、「簡単ではない変化」に少しずつでもつながっていくかもしれません。


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無料電子ブックにわたしの訳文が無断で大量に使用されてしまいました

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ヘレン・エクスレイ編『希望のことば』(中村妙子訳・偕成社)
1999年の刊行時に恩師からいただいた御訳書。昨年書店でも見かけましたが、まだちゃんと生きているのすごいです。
わたしがときどき読み返すのはハリエット・ビーチャー・ストウの次の言葉。

行きづまって
もう耐えられない
そう思うとき
そういうときこそ
あきらめずにお待ちなさい
そういうときこそ
潮の変わりめなのです

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(こういう記事を書かざるを得なくなり残念です)
(下記の件については、いま版元と話し合いが進んでいます。わたしだけでなく、翻訳者全体の人権と著作権が尊重されることが確認される結果になるよう双方努力中です。みなさまにはぜひ、下記をお読みいただいたうえでどうぞ温かく見守ってくださいますよう、よろしくお願いいたします。 2月3日追記)
版元からの謝罪文が出ました。この件については、またあらためてブログ記事を書きたいと思っていますが、Twitterのほうに関連の投稿をしましたので、まずはそちらをご覧いただけると幸いです。 3月18日追記)

 わたしはある版元の編集者(以後A)から、度重なるモラルハラスメントを受けていました。フリーランスに対するモラルハラスメントについてはこちらの記事 の(ケース4):力の差を利用して、精神的に追い詰めてくるがわかりやすいのでご覧ください。記事に「このタイプのハラスメントは、被害を受けている本人も、なかなか気が付けないものです」とありますので、「わたしは大丈夫」と思う方も一読をおすすめします。
 さて、昨年夏より、Aの上司である役員とわたしのあいだで話し合いが始まり、Aは現在わたしが翻訳を担当するシリーズの担当をはずれた形になっています。
 問題の電子ブックが公開されたのは、わたしと役員との話し合いが始まり、Aが担当をはずれたあとですが、電子ブックの企画作成はAが行いました。
 役員はAを担当からはずすとき「内容は教えられないが、Aは処分する」と述べたメールを送ってきて、その後「Aは反省している」と何度も言って、わたしを納得させようとしていました。しかし、この訳文の無断使用の件をAが役員に報告していなかったことを見れば、当人が反省などしていないことは明らかです。ちなみに、わたしとしては「処分の内容は教えられない」と書いてあった時点で「実際には何もしないのではないか」とある程度の予想はしていました。
 Aはこの版元のウェブ展開のヘッド(のひとり)で、そのポジションもそのままということです。役員は「ITが苦手」で、Aには「ほかの社員では補うことのできないウェブ知識」があるというようなことを、わたしとの最初の話し合いで述べていました。

 今回の訳文無断使用の件は、わたしが抗議すれば、関係者のうちにショックを受けるだろう人がいるし、電子ブックの元になったシリーズ作品に対するイメージが悪くなってしまう可能性や今後の自分の仕事のことを考えて、わたしが気がついても抗議しないだろう、もしくは抗議しても黙らせられると考えたものと思われます。

 ここで述べておきたいのは、電子ブックにわたしの訳文と一緒に掲載されているイラストとそれを描いたイラストレーターさんにはなんの罪もないし、わたしは同じ作品の邦訳版にかかわるチームのメンバーとして彼女をとても尊敬しているということです。Aと版元が作品のプロモーションをほぼまったくしなかったころから、目を惹くSNS投稿で作品の人気を盛りあげてくださいました。
 ただAによるハラスメント行為と、翻訳者としてのわたしを軽んじる言動に繰り返し精神的苦痛を味わわされてきたため、この電子ブックの公開はわたしにとってつらいものでした。そのため、掲載されているイラストは見た(そしてすばらしいと思っている)ものの、見るのはそこまでが精いっぱいで、自分の訳文がどこまで使われているかは確認することができずにいました。しかし、SNSで「これが無料なんて出版社太っ腹!」「え、試し読みでこんなに読めるの?」という内容の投稿を何度か見て、「これはやはり確認しなければ」と、先日ようやく通常の電子書籍版の試し読みとの分量の違いを確認できたしだいです。

 役員に抗議のメールを送ると、Aがわたしから訳文使用範囲の了承を得ていないことを認めたため、電子ブックの公開を2月1日以降になるが停止するとのメール返信が即日ありました。しかし、「大変申し訳ございません」というだけで、訳文の無断使用の補償や、Aや版元からの正式な謝罪についてはいっさい言及がありませんでした。さらに、電子ブックは公開をいったん停止したあと、試し読みの部分を通常の分量のものに差し替え、ほかにも変更を加えて「改訂版」として続刊のプロモーションに用いるつもりらしく、公開前にわたしに「ご覧いただく」ことで幕引きをはかろうとしました。わたしはこの電子ブックを「見るのが苦痛だ」と言っているのに、さらにもう一度中身を確認しろというのです。
 再度ガイドブックを配信するなら、「改訂版」ではなく、Aとは違う人物が違う形でイラストレーターさんとガイドブックを作成しなおしてほしいと役員には伝えました。

 役員からすれば「この時点で電子ブックの公開停止をすれば誠意ある対応」だと考えているのだと思われます。ただ、これだけ翻訳者の権利と気持ちを踏みにじり、訳者が時間と労力をかけて作成した成果物を「前もって範囲を知らせることなく、大量に」約半年間も使用しておきながら、それに対する対価を一円も支払わず、正式な謝罪もせずに事態を収束させようとするのは、やはりおかしくないでしょうか。
 わたしは金銭的な補償と、Aと会社からの正式な謝罪を求めていますが、その話を持ちだしたら、役員からの返信はとまってしまいました。

 どうしてこのようことが起きるのか。ひとつには一冊の翻訳書が刊行されるまでに、訳者が「無料で」引き受けるのが「慣例」になっている作業がいくつかあることが関係しているとわたしは思います。無料で仕事をさせることができる相手に、「敬意」というものが薄れていくのは自然ではないでしょうか。それに付随して「善悪の感覚の麻痺」が起きてくるのも。
 訳者の報酬・待遇の問題については、昨年から〈本のフェアトレード〉というSNSアカウントが興味深い記事の発信や投稿などを始めています。そのウェブサイトで公開されている記事〈「食べていくのは難しい」の意味─出版翻訳者の労働の価値を考える〉(永盛鷹司)に次のような文章があります。

1冊の翻訳書を商業出版するというのは、さまざまなメンバーから成るチームでのプロジェクトだ。そのなかで翻訳者は、訳文に対して責任を負うという役割を担当しているのであり、通常はそれを超える権限も、それ以外の責任も持たないはずだ。それなのに、印税率と発行部数の減少が、翻訳者の収入の算定においてはまるで「本が売れないことに対するすべての責任を直接取らせている」ように機能している。

 こういう問題があるなかで、訳者の労働の成果物が版元によって事前にきちんと相談も通告もされることがなく、無料で大量に使用されるという事態があってもいいものでしょうか?
 版元から本当の意味での誠意ある回答・対応があることを、それをあらためて当ブログでお知らせできることを期待しています。

(わたしは仕事をいっぱいしているわけではないので、版元や電子ブック、その元になっているシリーズの名前を伏せても、みなさんにすぐわかってしまうだろうし、伏せる意味がないかなと最初は思いました。ただこの記事は版元に誠意ある対応を求めると同時に、出版業界で翻訳者とその労働の成果物がもっと尊重される方向への変化が起きてほしいという気持ちもあって書いているので、このような形にしました)
(この版元のファンという方は「こんな記事信じたくない、読みたくなかった」と思うかもしれません。わたしも書かずに済めばよかったと思います。Aに関しては、わたし以外にも不利益を被らされたり、不愉快な扱いを受けた人が複数いるのですが、そのいっぽうで問題なく仕事をしてきた人もいるでしょう。そういう人は「あの編集者がそんなことするわけない」と思うかもしれません。ただAのハラスメント行為の一部については、彼が今後もそれを続けるためにわたしに嘘の説明をした証拠メールが存在し、上司の役員もそれについて把握していることを申しあげておきます)
(「え、あのシリーズの刊行の裏でこんなことが……」とがっかりされた方もいるかと思います。ただAはすでに刊行チームからはずれており、今後は不愉快な問題なく日本語版の刊行が続けていけるようになることを訳者は期待しています(訳者はほとんどなんの権限もない立場ではありますが)。シリーズファン・読者のみなさまにはぜひ、日本語版の刊行を引きつづき応援していただければと思います)
(このシリーズに関しては、納得のいく理由説明のないかぎり、邦訳刊行を打ち切ったりしないという約束を昨夏、役員からされています。不当なことに抗議の声をあげたフリーランスが、さらなる不当な扱いを受けることのないよう、みなさまに見守っていただけないでしょうか。なにとぞよろしくお願いします)

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嬉しい感想と『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて』

(2024/1/25)

 今回は2024年最初の記事です。日本は新年早々大きな天災と事故に見舞われ、たいへんな幕開きとなってしまいました。寄付など(少額ですが)できることをしつつ、なるべく気持ちを落ちつけるために、いまはロバート・マキャモン『少年時代』(二宮磬訳・ヴィレッジブックス刊・残念ながら絶版)を少しずつ再読しています。先日作家の藤井太洋さんも「知ってる話を読み返すのは落ち着くね」とSNSに書いていらっしゃいました。絶対におもしろいとわかっている作品の再読は、安心して物語世界にひたれて(少しのあいだでも現実から離れられて)、こういうときに向いていると思います。

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 さて、昨年11月に刊行されたアレックス・ジーノ『リックとあいまいな境界線』について、読書メーターに嬉しい感想を書いてくださっている方々を発見しました。この本は2020年コロナ禍真っただ中にリーディングをして、版権がすみやかに取られ、訳稿も2020年中に納品していたのですが、そこからがいろいろとたいへんでした……(ゆえに刊行までに3年もかかっているわけです)。そのため、こうして実際に邦訳版を手に取り、“読んでよかった”と思ってくださる方々の声に触れられて、喜びもひとしおです。刊行直後には銀座教文館の児童書売場〈ナルニア国〉さんの「きになる新刊」にも取りあげていただきました。読んでくださったみなさま、本当にありがとうございます。
 LGBTQ+に関する部分に加えて、友達とのつき合い方、そして(このごろかなり増えてきている印象の三人称単数のtheyをはじめとした)代名詞の話題などについても反応していただいていて感動です。がらくたどんさんは当ブログの11月の記事にコメントも寄せてくださっているのですが——だからここでメンションしても大丈夫だといいのですが——本書について「曖昧な性自認を広い空に解き放つ物語」というすてきな表現をしてくださっています(そのままキャッチコピーとして帯に使えそう!)。本書が、ゆっくりとでも、必要とする人たちの手に届いていきますよう。

 ここで、その11月の記事の最後に書いた、アセクシュアルを理解するうえで参考になる本をご紹介したいと思います。理解するうえで参考になる本というより、わたしが読んでよかったと思う本と言ったほうがいいですかね。ジュリー・ソンドラ・デッカー『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて』(明石書店)です。

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 複雑だったり、わかりにくかったりする世界情勢や社会問題に関する本・記事を読んだあとにときどき経験するのですが、読んでいるあいだは理解が深まって頭のなかの整理ができたように感じるものの、しばらくすると「あれ?」と、またよくわからなくなることがあります。これには年齢も関係しているだろうし、最近はややあきらめの境地です。
 ただ、だからこそ、信頼できる本が手元にあって、またわからなくなったときに読み返すことができるとありがたいと思っています。『見えない性的指向〜』は多くの人にとって、そんな存在になる本ではと感じています。
 
 本文はパート1から6に分かれていて、その下にわかりやすい小見出しがついています。パート5 知っている人がアセクシュアルか、そうかもしれないと思ったら を例に取ると アセクシュアルの人はどうしてほしいの? どうすれば受け入れられたと思ってもらえるの?/どんなことを言ったりしたりしてはいけないの?/子どもがアセクシュアルだと言ったら? まだ若いのに、どうしてわかるの?(抜粋)などです。このため、「また理解が曖昧になってしまった」とか「自分はどうしたらいいだろう」と思ったときに、参考になる箇所を見つけやすいと思うのです。

 あとですね、著者ジュリー・ソンドラ・デッカーさんの語り口が冷静でとてもよかった。いまメディアに出て、LGBTQ+にかぎらずマイノリティについての理解を広めたり、ハラスメント行為に抗議したりしている人たちを見ると、辛抱強くてすごいなあと思うことがあります。本書にはアセクシュアルの人が直面する無理解の例が紹介されていて、当事者の人たちなら感情的になったり、非当事者を非難するような調子になっても当然では……と感じる箇所があるのですが、あくまで理性的な文章なのです。非当事者に対する理解や思いやりも感じられるというか。これ、本当にすごいことだと思うのですよ。
 2019年4月初版刊行で、わたしが持っているのは2022年4月の7刷。こういう派手ではない本がしっかり重版して書店に並んでいることに希望を感じます。このすばらしい本を日本語にして届けてくれた翻訳者の上田勢子さん、版元の明石書店さんに感謝です。
 『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて』はノンフィクション、『リックとあいまいな境界線』はフィクションですが、これからいろんなフィクションとノンフィクションの両方の力が合わさって、多様な人が生きやすい世界へと変わっていきますようにと——簡単にいかないのはわかっていますが——祈ります。

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11年目もどうぞよろしくお願いいたします!

(2023/12/29)

 2023年もきょうを含めてあと3日。気忙しい時間を過ごしていらっしゃる方も多いでしょうか。
 今回は当ブログことし最後の更新です。まずは先月のブログ開始10周年プレゼント企画について、あらためてお礼を申しあげたいと思います。お知らせにご協力くださったみなさま、ご応募くださったみなさま、本当にありがとうございました。12月に入ってからプレゼントをすべて発送し終えました。ご応募くださった方、プレゼントをお送りできた方から、好きな本のこと、わたしが翻訳を担当した本の感想などをメールでうかがえたことは本当に貴重な経験でした。ふたたび機会を見つけて、同じような企画などできればと考えています。その際はまたご参加、ご協力いただければ幸いです。

 さて、今回はワニ町に関連する話題をちょこちょこっと。一部はTwitterですでにつぶやいた内容ですが、それに少しプラスしてお届けします。
 
*デリオンさん骨折
 ワニ町シリーズの著者、ジャナ・デリオンさんが肩を骨折してしまったそうです。Facebookを見ると、ドラマのREACHERのこととか、自筆のクリスマスイラストを投稿したりしているので、徐々にでも快方に向かっているといいのですが。
 デリオンさんは以前はTwitterにも投稿していたため、わたしもときどき近況をチェックしていたのですが、2021年から投稿はFacebookに絞ったらしく。わたしはFacebookはふだんまったく見ていないので、骨折のこともニューズレターで知りました。ふだんは新刊のお知らせが多いので、今回はびっくりしました。
 精力的すぎるのではと思うくらいのスピードで執筆をしているデリオンさん。どうかしばらくはゆっくり体を休めて、治療に専念してほしいです。

*ドラマ〈警察署長〉
 このドラマは昔、夏休みに三夜連続で放送されて本当に夢中になったので、アマプラで配信が始まったと知ってから、まとめて観られるときに絶対に観ようと思っていました。ワニ町の参考に……などというつもりはまったくなかったのですが、投稿に書いたとおり、南部が舞台ということで、ワニ町と重なる部分があって驚きました。ひとつ、6巻から具体的に例を挙げます(ネタバレにはなりませんが、「6巻は未読だから知りたくない」という方は飛ばして読んでください)。
 邦訳p.323にカーターとフォーチュンの以下のような会話があります。

「人の家の裏庭にボートで突っこんでもヘイトクライムにはならないでしょ」
「ミセス・ピケンズは黒人なんだ」
「ああ」わたしは背筋を伸ばした。「ああ!」

 ここでフォーチュンがひと呼吸置いてから「ああ!」と繰り返す理由。みなさん、お気づきでしたでしょうか? これがわかる台詞が〈警察署長〉を観ていると出てきます。ヒントは洗濯物。
 このドラマ、アメリカで放映されたのは1983年なので古さは否めませんが、いま観てもやっぱりおもしろいと思いました。機会がありましたら、ぜひご覧になってみてください。

*7巻刊行かなり前ちらっと情報
 クリスマス前に7巻初校の訳者校正を無事終えました。
 邦訳は7巻から担当編集者が交代しました。新たなメンバーが刊行チームに加わり、さらに読みやすく、楽しい本をスムーズにお届けできるようになればいいなと思っています。
 初校はカバーイラスト担当の松島由林さんもすでに読了されたとのこと。7巻はどんな場面や小道具が表紙に登場するのか?! 楽しみにしていらっしゃる方も多いと思います。わたしも訳者校正のときは「あ、このあたりとか来るかな?」と勝手に予想したりして楽しんでいました。

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 7巻原書の表紙はこんな感じ↑ 嵐のなかをお札が待ってますね〜。わりと大きく描かれている鳥さんは——誰かな?(笑)という感じですが、この辺もカバーデザインに関する日米の(?)感覚の違いとしておもしろいポイントかもしれませぬ。
 ワニ町7巻は2024年春の刊行予定です。ついきのうもこんな投稿をしましたが、ワニ町にかぎらず、シリーズものの刊行を続けるには読者のみなさんのお力が必要です。お客さまである読者のみなさんにたびたびのお願いで恐縮ですが、今後とも応援をなにとぞよろしくお願いいたします。

 コロナ禍をきっかけに聴くようになったラジオ番組で、別所哲也さんが毎朝「いろいろあるけどさ、ご機嫌は自分でつくるもの」と繰り返しています。いや本当にいろいろあったよね……としみじみ思う2023年末。挫けそうになるときもありますが、自分で自分のご機嫌をつくりながら、来年もゆるゆるとがんばろうと思います。
 2024年は世界がことしよりも平和で穏やかな場所になってくれますように。
 みなさま、どうかお体に気をつけて、ご機嫌な新年をお迎えくださいませ〜!

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アレックス・ジーノ『リックとあいまいな境界線』

(2023/11/15)

 まず最初に、前回の記事でお知らせしたプレゼント企画に応募くださっているみなさま、ありがとうございます。よろしければとお願いしたよく読むジャンルや好きな作家に加え、わたしの翻訳担当書との出会いなどについても綴っていただいたりして、メールを楽しく読ませていただいています。こういう好み、読書歴の方が当ブログに興味を持ってくださっているんだなと知ることができてたいへん嬉しいですし、これからの自分の仕事の方向性を考えるうえでも大切にしたいと思っています。お返事を差しあげるのは12月に入ってからになりますが、まずはお礼を申しあげます。29日まで募集しておりますので、ご興味のある方はぜひご応募ください。



 さて、いろいろあってお知らせが遅れていましたが、わたしが翻訳を担当した『リックとあいまいな境界線』(偕成社)が発売になりました。2016年に刊行された『ジョージと秘密のメリッサ』の著者アレックス・ジーノによる、アセクシュアルの少年を主人公にした児童書です。
 6月に開催された読書会でワニ町シリーズのレジュメの一部をご紹介したところ、翻訳者が書いたリーディングレジュメというものに関心を持ってくださった方が多い印象でしたので、今回もレジュメの抜粋に少し手を加える形で、本書の内容をご紹介したいと思います。リーディングをしたのは2020年ですので、その時点で書かれたものです。

『ジョージと秘密のメリッサ』が本国でストーンウォール賞とラムダ賞をダブル受賞し、日本でもトランスジェンダーを主人公とした児童書の先駆けとして、高い評価を得たアレックス・ジーノの新作である。
 本書の主人公は『ジョージと秘密のメリッサ』で、いじめっ子ジェフの親友だったリック。前作では『シャーロットのおくりもの』の劇を上演したあと、ひとりで講堂から帰っていく姿が印象的だった。本書には中学入学を機に女子として登校を始めたメリッサやその親友ケリー、そしていじめっ子のジェフも登場する。ただし続篇という形は取っていないので、独立した作品として読むことができる。
 本書でジーノが描きたかったことは大きくふたつあると思う。ひとつは性と性的指向の多様性。もうひとつは“本当の親友とはどんな友だちか?”という問題だ。
 思春期にさしかかったとたん、まわりから“女の子”の話をされることが増えたことで、リックは戸惑う。女の子を“好きになる”とか“性的な関心を抱く”といったことがまったく理解できなかったからだ。LGBTQ+(性的少数者)の理解を目的とした課外クラブ〈レインボー・スペクトラム〉の活動を通して、リックは自分がアセクシャルなのではないかと考え、インターネットで検索してその思いを強めていく。
(中略)
 (中学生になってから、毎週訪ねることになった)祖父との関係はリックが親友ジェフとのつき合いを見なおすときにも大きな助けとなる。リックは、いじめっ子のジェフの親友であることにモヤモヤとしたものを感じながらも、自分は意地悪をされることがなく、彼と一緒にゲームをするのは楽しいという理由から、ずっとジェフとつるんできた。しかし祖父の「大きな喜びを与えてくれるのが正しい親友で、一緒にいてありのままの自分でいられないと感じるような相手は間違った相手だ」という言葉に背中を押され、大きな決断をする。
 『ジョージと秘密のメリッサ』ではトランスジェンダーの子どもの苦悩を描くことに焦点が絞られていたが、本書ではトランスジェンダーよりもさらに耳慣れない、それゆえに理解も進んでいないアセクシャルやクロスドレッサーといった多様性関連の言葉がいくつも出てくる。やや盛りこみすぎと感じる部分もなくはないが、そうしたさまざまな人たちが“いることを知る”初めの一歩とするのによい本だと感じた。
 前作と異なる点がもうひとつある。ジョージは自分がトランスジェンダーであることを自覚してからしばらく時間がたち、すでに確信を持っていた。本書の主人公リックは自分と周囲の違いに気がついてまだ間もない。本人のなかでアセクシャルではないかという思いが強まっていき、身内に打ち明けるという一歩を踏みだすものの、物語中では断定的な表現は使われていない。性的少数者の“気づきの過程”に光を当てた作品と言えるだろう。
 本書はアメリカでは対象年齢が8〜13歳となっているが、日本では中学生以上かYA小説を好む層、マイノリティ(性的なものに限らない)の問題に関心が強い成人が読者の中心になるのではないかという気がする。(中略)本書には要所要所でメリッサが登場し、“ありのままの自分”を生きはじめた頼もしい姿を見せてくれている。前作と本作、どちらを先に読んでも双方向で読者の興味を刺激し、読者・理解者の輪を広げていける本だと思う。
 
 本書の巻末にはAS LOOP のメンバーであるなかけんさんによる〈解説 ひとりひとりちがう“性のあり方”〉が収録されています。なかけんさんはNHKドラマ〈恋せぬふたり〉の考証を担当されていた方です。
 また、版元のウェブサイトには遠藤まめたさんによる本書のレビュー〈たとえ物語の中であったとしても––––自分を否定されない環境が心の支えに〉が掲載されています。ぜひご一読ください。レビューのなかで遠藤さんは「この書評を書いている私は、本書に出てくるレインボーズによく似た名前の「にじーず」というLGBTの子ども・若者が集まる居場所を運営している」と書いていらっしゃいます。上記のレジュメを読んで気づかれた方もいらっしゃるかもしれませんが、本書に登場する〈レインボーズ〉は原書では“レインボー・スペクトラム(Rainbow Spectrum)" です。これを日本の読者にもわかりやすく、すぐ親しんでもらえる名前にするには?と考えていたとき、訳者は遠藤さんたちが運営している〈にじーず〉を思いだしました。そこで、邦訳版では思いきって“スペクトラム”を除き、“レインボーズ”と複数形にしてクラブの名前にしたという経緯があります。
 今回なかけんさんに解説、遠藤まめたさんに書評を書いていただけたことは、本当に光栄でした。おふたりの活動に注目している方、おふたりを信頼している方、そして“物語の中であったとしても安全な居場所”を必要としている若い読者に見つけてもらえますようにと祈るばかりです。
 レジュメにも書きましたが、本書は児童書ですが日本では成人の読者のなかにも興味を持ってくださる方が多いのではと感じています。書店では、児童書コーナー以外にも置いてみていただけたら幸いです。

 アセクシュアルを理解するうえで参考になりそうなほかの本などもご紹介したかったのですが、ちょっと長くなってしまったので今回はこの辺で。また折を見て、別記事でまとめられればと思います。

☆アレックス・ジーノ作品に関する当ブログの過去記事
ジョージと秘密のメリッサ』(2016/12/19)
GEORGEを訳すうえで参考になった本(2017/06/13)
GEORGEを訳すうえで参考になった本 その2 (2017/06/25)
『ジョージと秘密のメリッサ』刊行から一年(2017/12/24)
『ジョージと秘密のメリッサ』原書タイトルが George から Melissa へ(2021/11/18)

プロフィール

島村浩子

Author:島村浩子
東京下町在住の翻訳者。ミステリ・ロマンス・ノンフィクション・児童書など訳してます。本のほかに映画・洋楽・ミュージカルが好き。
Twitter: @rhiroko
Instagram:@reepicheeph
Fedibird(マストドン):@rhiroko
Bluesky:@rhiroko
タイッツー:@rhiroko
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